いつか誰か、分かってくれるだろうか。 
 俺の――俺たちの、苦しみを。心を。 
 俺たちの本質を知りながらも、心を開いてくれる人が、いるだろうか。 
「あ、姉ちゃん!」 
 少女の弟は、しばらく探すまでもなく見つかった。全身泥だらけのぼろぼろの格好をしていたが、まあ元気そうだ。でも何だか、足の様子が変か? 
「挫いたの?」 
 足を引きずりながら駆け寄ってくる少年に、少女は心配そうな声をかける。でも少年の方は何だか、大慌ての様子だった。 
「ちょっとこけただけだよ。それよりこんなとこで何やってんだ。……お前ら!」 
 少年は俺たちを見るといきなり叫んだ。 
 なんだよ。びっくりすんじゃないか。それにもしかして、俺たちのこと今頃気がついたのか? 
「姉ちゃんから離れろ!」 
「うるさい、このガキ! チビガキのくせにこの僕に命令すんなッ」 
 あ、蓮ちゃんが連鎖でキレてる。 
 少年ももの凄い勢いだったものの、蓮の鬼気迫る迫力に肩をビクッとふるわせて止まった。それでも気丈に少女をかばって蓮を睨んでいる。 
 うむ、根性あるね。 
「蓮ったら大人げないな」 
「うるさいよ」 
 ああ、はいはい。黙ります。 
「この人たちは、姉ちゃんを助けてくれたのよ。それよりあんた、何してたの」 
 心配のあまりか安堵したのか、泣きそうな声で少女が言う。すると、弟くんはハッとしたように再び慌てだした。……蓮ちゃんに怒鳴られたのが、よっぽど恐かったんだな。かわいそうに。 
「姉ちゃん、この薬草持って速く帰れ」 
「何言ってるのよ」 
「いいから、速く!」 
「なあ、少年」 
 お取り込み中悪いんですけどね。 
「何慌ててんの?」 
「うるさい!」 
「奏に偉そうな口利くんじゃないよ、平々凡々なお顔だちのくせして!」 
 またまた蓮ちゃんが怒鳴る。条件反射のように怯えた顔をしている弟くんのほっぺたをぐいーっと引っ張って。 
 あのさあ、そのままだと、答えたくても答えられないと思うんだよね、蓮ちゃん。 
 ほらフガフガ言ってるし。 
 けれど弟くんは何も言う必要がなくなってしまった。 
 遠くから何やら聞こえてくる。 
「お前、盗賊に追いかけられてんのか?」 
 俺が再び問いかけると、蓮は弟くんを離した。 
「うるさい、お前に関係――――ッ。……そうです」 
 たはは。蓮がよほど恐いと見た。 
「薬草採りに行ってたら、なんか盗賊のアジトに出ちまったんだ。見つかって追っかけられてた。足挫いたから隠れてたんだ」 
「アジト見つけたって? それだけか?」 
「やつら、村を襲うつもりらしい。支配したいみたいだ。俺、その話聞いちまったから。だから、姉ちゃんさっさと帰って、逃げよう」 
「ちなみに、そのアジトって、このご近所?」 
 呑気にのんびり聞いた俺に、弟くんは呆れた目をした。 
「だから速く逃げろって……」 
「ちょっと無理みたいねえ、蓮ちゃん?」 
 結構のんびりと俺は言う。慌ててもしょうがねえしなあ。 
「めんどくさいなあ。後で労働賃金もらうよ、奏」 
「俺貧乏なの知ってるよな」 
「じゃ、蓮ちゃん働かなーい」 
 うおっ、なんて奴じゃ! 金の亡者め! 
 とかなんだかんだ言ってるうちに、木々の間から、男が独り飛びだしてきた。 
「見つけたぞ、小僧! ……なんだお前らは 」 
 少年を追ってきた盗賊一味の一人と思われる。俺たちを見て訝しげな顔をした。 
「なんだって言われてもねえ。なんでしょうねえ」 
「ふざけるな! 小僧をこっちによこせ!」 
 男は再び怒鳴る。すると蓮ちゃんは、とうとう本気でブチッときたらしい。 
「さっきからみんなして、命令すんなって言ってんだよ! このブサイクッ」 
「何だと貴様ああ」 
「あのさ、君、君ちょっと落ちついて」 
 俺はまるっきり他人事のようにして、蓮と盗賊の間に割り込んだ。 
「ちょっと話あんだけど」 
「ああ?」 
 盗賊はいきなり刀を抜いて俺に向き直った。物騒だねえ。 
「ちいっと、オニガミサマとやらに、会いたいんだけど」 
「なにいっ!」 
「なにい、じゃなくて、お前らの頭領に会わせろって言ってんだよ、奏は」 
 でかい声を張り上げる男に、蓮ちゃんがまた鋭く言う。……あ、盗賊クン、今度こそ本気でキレたかな。 
「死ねえ!」 
 彼は刀で突きかかってきた。 
 ひょい、っと。 
「馬ああ鹿。そんなへなちょこな剣筋で、奏を殺せるわけないよおだ!」 
 すかさず蓮が茶々を入れる。それにしてもへなちょこって言い方は力が抜けるよ……。 
 あっさり攻撃を俺にかわされて勢いよく俺の横を通り過ぎて行った男は、怒りに目を光らせながら、振り返った。 
「きっっさあまああああ」 
 唸るように言って、今度は刀を振りかぶって、突っ込んできた。 
 ――怒ってますなあ。 
 しょうがねえなあ。ほれっ。 
「ぐはあっ」 
 刀をけてくり出した俺の拳に、大げさなほどに男が吹き飛んだ。 
「ふんっ。最初から素直に、鬼神サマとやらを連れてくりゃ見逃してやったのに」 
 ひっくり返ってぴくぴくしてる盗賊を足蹴にしながら、蓮が言う。 
 ああなんだか、蓮ちゃんてば、とっても女王さまっ。 
 少女も弟クンも、呆れたような恐がってるような目をして蓮を見てるし。さすが蓮ちゃん、なかなか俺にはできません。 
 ――なんて、ふざけてる場合じゃあ、ちょっとなさそうだ。 
「なんでえなんでえ、一体どうしたあ」 
「おっ、あいつ何でころがってんでい!」 
「お前ら、何者だっ!」 
 騒ぎを聞きつけたのか、ざわざわと口々に言いながら盗賊たちが出てきた。 
 どうでもいいけどその会話、間抜けすぎだよあんたら。 
「ちょっとっ。あんたらの頭領は?」 
 かなりの人数の男どもに囲まれながらも、蓮は相変わらず。 
 多分ここにいるので、盗賊全員だと思われる。 
「なんだとおお!」 
「何だも何もねえ」 
 怒鳴ってきた奴を睨み上げ、俺は声を低く抑えて言ってやった。 
「鬼神サマとやらを連れて来いって言ってんだよ」 
 にいっと口もとに笑みを浮かべて続ける。 
「ま、どおせ、この山に伝わる鬼神の伝説をかさに着た、偽物の人間が正体だと思うけど」 
 村人は怖がって近寄らないし、悪さをしても鬼神の存在を信じる村人は、鬼神の仕業だと思うだけだろうし、盗賊のアジトとしては都合がいいだろう。戦国の世のこと、こういう野蛮なことは珍しかないし。 
「随分言ってくれるじゃねえか」 
 俺と蓮を取り囲む盗賊たちをかきわけて出てきたのは、がっしりとした体格の男だった。 
 ――ふうん? 
 頭領、かね。 
「なんだ、やーっぱり、人間じゃない」 
 小馬鹿にした蓮の言葉に、盗賊どもが殺気を込める。 
 ああやだやだ。恐いねえ。 
「……何か言ったか?」 
 普通の人間なら怯えて腰を抜かすような気迫で、頭領が言った。鬼気迫るってやつかな。少女も、彼女を後ろにかばってた根性ある弟くんも、立ってるのがやっと、って感じだし。 
「あらヤダ、蓮ちゃん聞きました? この方見かけ通りに、やっぱり頭悪いみたいよ」 
「やーねえ。不細工な上に自覚ないなんて、最低だね。顔作り直して出なおして来な」 
「なんだとお?」 
 うーん、どうも俺、さっきからこのセリフばっか聞いてる気がするんだけどなあ。 
「あんた、自分、何者?」 
 呑気な俺の問いに、頭領は不機嫌に応えた。 
「俺こそがこの山の鬼神だ」 
「男のくせに嘘つきってヤッダー」 
 蓮ちゃんそれは君が言う言葉じゃないと思うんだけどな、俺は。散々、男騙して金品奪ってるくせに。 
 それはさておき、盗賊の頭領は、眉をつり上げた。 
「さっきから聞いていれば……何か言ったか」 
「だから嘘つくなって言ってんのこのブサイク」 
 蓮がそう言った瞬間、辺りがもの凄い殺気に包まれた。 
 やっぱり蓮って、挑発の天才だよな。しかもまだ何か言ってるし。 
「貴様ら、自分の立場が分かっているのか?」 
 イライラしまくっている頭領だが、勿論蓮ちゃんには通用しない。 
「はあああ? 何か言ったああ? もしかして鏡とか見たことないわけ? 自分が不細工なのも知らないのお? ああいやだいやだ。自分の分もわきまえてないなんてえ、最低えええ」 
 腕なんか組んじゃったりして、思いっきり高飛車である。さすが蓮ちゃん。状況をわきまえていらっしゃらない。 
「貴様っ」 
「あーら嫌だ。本当のこと言っちゃって悪かったかしらあ? ボクってほら、君とは比べものにならない美人だし、完璧だからあ。気がつかないで言ったりしちゃうんだよねえ」 
 蓮ちゃんそれは違うぞ。君は性格が欠陥だらけだから言っちゃうんだよ。いや、確かに美人だけどね。 
「ふざけやがってええっ」 
 盗賊の一人が怒鳴る。 
 うーん、ここで怒るのもどうかな、君。ブサイクなのを認めてることになっちゃうと思うんだよね。 
 とか言う俺の内心での忠告、というよりはつっこみなど知る由もなく。 
「まあ、美人談議はさておき」 
 俺は、今にも襲いかかってきそうな盗賊たちに、とりあえず冷静に静止の声をかけた。瞬間、その場の雰囲気が落ちつく。盗賊たちが美人な蓮ちゃんにブサイクと本当のことを言われたから怒ったのか、完璧になめられてるから怒ったのかは知らないが……とりあえず、詮索はしないでおく。 
 まあとにかく、これ以上蓮にしゃべられせてたら事態が進まないし。 
「お前、ただの人間だろ。鬼じゃねえし。伝説になれるようなお年じゃねえし」 
「鬼神というのは、ものの例えだ。俺は、それだけ強いということだ」 
「へええええ、そうなんだああ。わあすごおおい。自分で言っちゃうなんて、なかなかできないよね☆」 
 思いっきりバカにした俺に、盗賊たちが遅いかかってくるかに思えた、が。 
 俺たちの後ろで、盗賊が大声を出した。 
「これを見ても、まだ何か言えるか 」 
 振り返れば、少女と弟くんが盗賊に捕まっている。弟くんは大暴れしているが、そんなことじゃあ、ビクともしない。 
「勝手にすればあ?」 
 ああッ、蓮ちゃんてば、酷い。 
 ……なんて、俺はふざけてる余裕があるが、盗賊たちは、予想とはかけ離れた蓮ちゃんの反応に、かえって恐ろしくなったらしい。こやつに普通の手が通じると思う方が変なのだよ。 
「お前、この薄情モンッ!」 
「はあッ? なんか言った? 薄情も何もさっき出会ったばっかだろ」 
 まあ、そうなのだけどね。怒鳴る弟くんにも蓮ちゃんはやはり冷たい。 
「そうだねえ、人質とって、どうするつもり?」 
 のんびりと聞くと。 
 頭領はやっと優位に立てた確信を持ったのか、にやりと笑って言った。 
「向こうの方でも仲間が死んでいた。あれも、お前たちだろう。俺も相当腹がたってるが、おとなしく殺されたら、寛大に許してやる。そうしたら、こいつらも離してやるよ」 
「しょうがないなあ」 
 ホント、しょうがないよなあ、こういう奴らは。自分は強いとか言いながら、たった二人の相手に、多勢に無勢の相手に、人質とるか普通? 
 俺には真似できないよ、ホント。違う意味で尊敬しちゃうね。 
 それにしても、まいるよなあ。 
「過去の嫌な思いでのせいで、女子供とか弱者には優しいのよ、ボク」 
「……奏」 
 おどけた口調の俺に、蓮がしかめっ面をした。……んな、心配するなって。 
 お前だって、分かるだろ。 
「けど、覚悟しな。もし、あの子らに手えだしたら、お前ら全員、ぶっ殺すから。俺に二言はねえから、覚悟しときな」 
 口元に歪んだ笑みを浮かべて、おどけたまま俺は言う。強く、睨みつけて。 
「そうか」 
 頭領は、白刃を抜いて言った。 
「やれるものならな!」 
 思い出すのは恐怖に歪んだ顔。響きわたった悲鳴。 
 それから、拒絶の、言葉。 
「いやあああ、来ないで!」 
 泣き叫んで、彼女は言った。 
 どうして。 
 ――――どうして? 
 あんた、俺の、母親だろ? 
 俺、あんたの子だろ? 
 思い出すだけで、悲しくて、視界が歪む。 
 今さら、どうしようもないんだけどな。 
 目の前を血が染める。仰いだ月が、鮮血に染まる。唇からも、血がぼたぼたと落ちていく。 
 視界が揺れた。歪む目の前に、蓮の顔。 
 大丈夫だってば、ほんと。 
 そんな顔すんなよな、お前らしくもない。 
 そう思ったのが最後。大袈裟なほどに、どさりという音がした。 
「まったく奏のバカ」 
 蓮は不機嫌そうにつぶやいた。その顔には普段にない悲しみと痛みがある。 
 イライラしながら、腕を組む。 
「今度はお前だ。おとなしくしやがれ」 
「はあ? 何言ってんの? 奏が命投げ出したんだ、もう十分だろ。その子ら離せよ」 
「何か言ったか? 聞こえんな」 
 盗賊たちは、バカにした笑いを浮かべている。蓮はやっぱりという顔をした。かなりイライラしている。 
「他人様の命をなんだと思ってるわけ? やっぱその空っぽな頭じゃ理解できないって?僕バカは嫌いだから、はっきりしてくんない?」 
「こっちに人質は二人いるんだ。命の代償ってんなら、代わりも二人欲しいよなあ」 
 人質にされた二人は、血を見てさすがに震えていた。蓮にすがるような視線を向けている。 
「んじゃ、先に人質離せよ。死んだ後だったら、ちゃんと自由になったかどうか確認できないしい」 
「馬鹿め。そんなこと言った覚えはねえよ」 
 盗賊たちは下卑た笑いを浮かべた。木々の間に不気味に響いていく。 
「『僕ら』がおとなしく、言うこと聞いてやってる間に、素直にその子ら離せよ。ついでに、村襲うとかいう計画も、やめとけば?」 
 蓮はイライラと言った。蛾眉をひそめて、髪をかき上げながら。綺麗な顔が不機嫌になっている。 
 けれど盗賊たちは、大爆笑した。 
 普通に考えれば、当然のことだった。蓮は完全に不利な状況に立たされているのだ。多勢に無勢の上に、人質まで取られて。自分自身の命すら危ないというのに、さらなる条件を出せる状況などではなかった。――普通なら。 
「何か言ったか?」 
 白々しく聞き返す頭領に、蓮は珍しく真面目に応えた。 
「奏を傷つけといて、よくそんなこと言えるよな。僕にとって、唯一のを、こんな目にあわしといて、よく、そんなに、笑ってられるなあ?」 
 口元が歪んだ笑みを浮かべていく。表情が陰気なものに変わっていく。 
「なら、ありがたく思え。すぐにお前も、後を追わせてやる」 
 頭領はただそう応えた。馬鹿にしきって。 
 蓮は意味ありげな、魅惑の笑みを浮かべて、頭領を睨みあげた。 
「ふううん、そう」 
 そんな蓮を見て、隙あり、とでも思ったのか。 
 頭領は再び刀を一閃させる。 
 少女が悲鳴をあげた。 
 頭領の刀は、蓮を斬りつけることができなかった。 
 軽々と、片手で、しかも素手で止められている。 
「誰が、誰を、殺すってえ?」 
 蓮はにこやかに言う。 
 金に変わった瞳を細めて。長い黒髪の頭から生える二本の角を誇示するように、小さく首を傾げて。 
 体からあふれる強大な力が、渦となって風をおこしている。 
「誰が、鬼だって言ってたっけ。……あんた?」 
 刀を持つ頭領の手が、ぶるぶると震えだした。 
「は、離せ!」 
「僕にいい、命令するなってえ、言ってるんだよねええ、さっきからさあ」 
 蓮が刀を掴んだ手に力を込める。 
 それは、あっさりと砕け散ってしまう。小さな破片が、きらきらと光って舞った。 
「で? 誰が、誰を、殺すって?」 
 頭領の後ろからも、声。 
 後ろから伸びた血塗れの腕が、奴の頭を掴んだ。 
「この子ら、殺すんだってさ。村も襲うんだってさ。奏、聞いてた?」 
 蓮の美声。小馬鹿にしている。 
 ああはいはい、聞きました。 
「なっ、貴様、さっき確かに!」 
「俺を、誰だと思ってる?」 
 血に濡れた赤い唇で、笑ってやった。蓮と同じに、金色の目と、二本の角を生やした姿で。 
「あれくらいで死ぬかよ、この俺が。心臓でもえぐり出してみればあ?」 
 くすくすくす。 
 小さな笑い声が、夜の闇に響いていく。 
「言ったよな。俺、子供の頃の嫌な思い出のせいで、女子供やら弱者やらには優しいのよ。約束、素直に守れば良かったのに」 
 後ろから耳元で、囁くように言った。 
 ホント、約束守れば見逃してやったかもしれないのに。 
 なんていちいち言ってる俺に、蓮が「速くしろ」ってめんどくさそうな、いらついた目で見ている。 
「離せえええええ」 
 恐怖に頭領が叫んだ。 
 自分で強いとか言ってたくせに。やあねえ、だらしのない。 
「残念ながら、俺に二言はないのだよ」 
 にっこりと笑って、言ってやる。 
 十五の時俺の身に起きたことは、どうやら先祖返りというやつらしかった。遠い先祖のどこかに、鬼がいたのだろう。あれから成長しなくなってしまった。 
 ある日いきなり、村が襲われて。――こういうどこにでもいる馬鹿な盗賊だったか、浪人者の集団だったか、よく覚えてないしそんなことどうでもいいけど。 
 小さな日常を壊された俺が考えたのは、村を守ること。家族を守ること。 
 なんでもいいから、とにかく、力が欲しかった。 
 もしあの時、村が襲われなかったら。 
 もし、あのまま日常が続いていたら。 
 こんなことにはならなかったのに。 
 ――だから、こういう奴らは許せなかった。 
 蓮は戦のまきぞえを食らって、両親を亡くした。死体の山の中、両親の死体の横で、一人で座り込んでいた。ただ茫然と、座り込んでいた。 
 蓮も俺と同じく先祖返りなのだろう。あの時はまだ人のままだったが、あれがきっかけになったのは間違いない。 
 もし、あのとき―― 
「はあー、すっきりした」 
 思いっきり伸びをした。ちなみに俺も蓮ももう元の姿に戻っている。 
「くっそー、痛えな。汚れちまったよ。破れたし」 
「どうすんのさ、貧乏人。馬鹿なコトするからでしょお?」 
「ふふーん、蓮ちゃん」 
 俺のつぶやきにつっこんできた蓮に、にやああっと笑ってみせる。 
「心配したあ?」 
「なあに言ってんのお? 馬鹿は殺しても死なないんだから、心配なんかするわけないじゃーん。心配して欲しかったわけ? 奏ってば実は寂しいの?」 
「まっ、素直じゃないんだからっ」 
「オバンくさいよ」 
 うっ。ヒドイッ。 
 ――あーあ、もう。 
 空が白みはじめてる。夜が明けそうだ。安眠妨害されて、全然寝てないよ、もう。……って、勝手に自分からかかわったんだけどさ。 
「腹減ったよ蓮ちゃあん」 
「しょうがないなあ。町まで降りて、なんか食べる? 今から山越えしたら昼頃には着くし」 
「げっ。昼う?」 
 もたねえよお。 
 腹グーグー言ってるし。 
「蓮てばなんか妙に優しいなあ。腹減らした俺の心配なんてしてくれるわけ?」 
「はあ? 金は自腹だろお?」 
「えー、もうケチ!」 
 貧乏だって言ってんのに。運動したら腹減りましたよ。異常な再生力を維持するには食糧が必要なのよう。……嘘だけど。 
 ううう……、悲しい。 
 仕様がないから、とぼとぼと歩き出した。 
「おい!」 
 すると、思いがけなく呼び止められて、足を止める。弟くんだった。 
「あの、ありがとうございました」 
 少女が地面に座り込んだまま言った。恐怖に震えたままだったが。 
 なんか、微笑ましいなあ。 
「気にすんな。許せなかっただけだし」 
 この子らの日常壊すの、許せなかった。俺たちの昔に重ねてるだけだけどな。同じように苦しむ人間、増やしたくなかったから。 
 それに、鬼の名かたって悪さしてるのも、許せなかった。なんか俺たち何もしてないのに、悪者にされるし。 
「おい、お前、姉ちゃん大事にしな」 
 戻ってきて、弟くんの頭にポンッと手を置いた。少し身を硬くしてるのが分かるが、逃げずにいてくれるのが嬉しい。 
「じゃな」 
 軽く手を振って、ブスッとして待ってる蓮の方に行こうとした。 
「お前ら……どこ、行くんだよ」 
 その俺の背に、再び弟くんの声。 
 どこに、行くのかって? 
 ゆっくりと振り返って、笑う。 
「さあな」 
 行く当てなんてないし。どこにも。行くところなんて、ましてや帰るところなんて、あるわけないし。 
 でもな、別に、今の生活、不満でもないんだ。 
 笑いを残したまま、俺は今度こそ蓮の方に向かった。不機嫌そうに腕を組んでるし、これ以上待たせると怒られるからな。 
「ご飯食べたいわけ? 食べたくないわけ? 折角おごってあげようかとか思ってたのに、待たされたから、やめようかなあ」 
「ああそんなッ。蓮ちゃんごめんね 」 
「許して欲しかったら、僕をおぶって町まで連れてって 」 
「げっ、重いのに!」 
「……何か言ったあああ?」 
「いえ、何も」 
 激しく左右に首を振る。 
 まったくもう、甘えちゃってしょうがないんだから。まあ、俺は蓮にとって親みたいなもんだからなあ。実は俺ってば、結構いい歳だから。若作りなのよ。 
「よし、乗れ」 
 背中を出した俺に、蓮がひょいっと飛び乗る。 
「よーし、行けえ!」 
 弾んだ声を聞いて、俺はちょっとばかし後悔した。 
 俺も蓮もお互いに、唯一だから。たったひとりの、分かり合える相手なのに、心配かけちゃったし。俺たちは、不老長寿のしぶとい種族だから、そう簡単に死ぬことないの分かってるけど。恐いのには変わりない。 
「蓮ちゃん、ごめんねえ」 
「何があ? 気持ち悪いな急に」 
「ご飯、懐石食べたい ついでに美人のお姉さんのお酌が欲しいなあ 」 
「死ね」 
 ごすっと、蓮の肘が背中に入った。 
 今の生活、別に不満なわけじゃないから。 
 例えたった一人でも、分かりあえる人がいる。かけがえのない人がいる。 
 それだけで、寂しくなんかない。 
 ちゃんと、生きていけるよ。 
「だっ、イテッ」 
 ったく、痛えなあ! 
「奏には僕がいるから十分だろ。酌なら僕がしてあげるから感謝しな」 
「うう〜、分かりましたよお」 
 ……やっぱり、少し、自分の運命恨みたくもなるけどな。 
終わり
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